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「念」に踊らされないこと!

 次回からの続きです。「念」はありますが、例えば、憎しみが次の世代の人に受け継がれていくことで、怨念になったりするわけです。「〇〇を憎め」と言われて渡された物には、そこに念があるように印象づけられることになり、それを見た人は、その物に怨念を感じることでしょう。最悪、それに囚われて、実際に不幸を招いてしまうことになります。ですが、結局、物、そのものに念があるわけではないのです。
 

 これは”念”に踊らされないためには必要な考え方なのです。

 私は、”念”そのものを否定していません。むしろ、神社仏閣でもらったお守りや仏像に仏師の念が入っていると思えば、信仰心が生まれますし、それだけご利益が出ると考えています。

 逆に、呪いの藁人形のように、ただの藁人形にあくまでも呪いという念が込められていると思うと、それだけでマイナスの暗示がかかって、「そうなるのではないか」と不安が惹起されることになります詐欺師などは、その人の不安に付け込んでくるのです。

 ゆえに、そういう壺や印鑑などに”念”はないと思ってください。
 
 だからこそ、自分の都合のいいように”念”を捉えていこうとする考えが大事です。ご利益があるものには念が宿り、ネガティブなものには念は宿らない。だから、自分にとって必要だなと思う物は自分の手元に残し、後はきっぱりと捨てて大丈夫です。


 運のいいと思っている私はそうしてきましたし、それで何の問題もありませんでしたよ!


※ただし、いい念が入っているからと、高額な商品を売りつけられる霊感商法にはご注意ください。「それで運が良くなる」と自分に暗示をかけることは大事なのですが、高額すぎるものはどこか胡散臭いものです。何事も常識の範囲内の値ごろ感を大事にしてください。