催眠や心理学だけでなく、スピリチュアルな話なども時々織り交ぜながら話をしたいと思っています。
それは仕事始めの日だったでしょうか、精神科訪問診療中の車内にて、たまたまある占い師の人?がラジオで、手紙・年賀状・書など、いわゆる手書きの物を粗末に扱うと運が悪くなる、と言っているのを耳にしました。
仕事をしながらだったので、ところどころ程度聞いていたぐらいですが、手紙や書など人が書いたものは、「そこに念がこもっているから捨ててはいけない」という趣旨のようでした。
催眠を学び、東洋哲学や易も学んできた者として、半分共感するところもありますし、半分は納得できないところがありましたので、それについて、今日は語っていきたいと思います。
そもそも「念」とは何か。
念を一言で言えば、「その人の想い」です。ポジティブな念なら、幸せを願う気持ちが代表的なものですし、ネガティブな念の代表的なものと言えば、呪いでしょう。
念があるかないかで言えば、結論から言えば、念はあります。「人の想い」だから。人がいる限り、念というのは確実にあるのです。
手紙や造形物に念が入っていると感じるのは、その手紙に想いが言葉として綴られていたり、造形美の神秘性やおどろおどろしい形がその人の意図を感じさせる造りになっているからでしょう。
それを見た人間が、「そこに念がある」と受け取り、「これには念がこもっている」と自分自身に暗示をかけることで、物に念があると思い込んでしまうからだと、心理学的には解釈できると思っています。
そういう意味では、物に念そのものはないということもできます。
《次回へ続く》